主宰 寺田名保美芸歴
1969年
ハワイアンバンド、パームセレナーダス故大塚竜男先生にスカウトされ、ポリネシアン民族舞踊レフアナニすくーる(当時教室名)
主宰Lehuanani Satake(レフアナニ佐竹)に師事



1971年
テレビ朝日のアフタヌーンショーにちびっこフラダンサーとして出演。




灰田勝彦先生の兄である灰田有紀彦(春彦)先生にハワイアン音楽ギターを師事(右の写真は左から、初代ウクレレ協会会長渡辺敏治先生、大塚先生、灰田有紀彦先生)



1972年
銀座タクトにプロのフラダンサーとして出演
1972~1974年までタクトに出演 当時10歳での舞台出演は、この時代では最年少
1988年
レフアナニすくーる(当時名)主宰レフアナニ佐竹よりUNIKIを授与される
1992年
1992年プロの証明であるプロフェッショナルデプロマを取得。
Halau 0 La Hula Naomi設立。本格的な指導にあたる。
2003年
教室名
Halau O La Hula Naomi
ハラウ オ ラ・フラ ナオミ
(太陽の様に輝く名保美のフラ教室と言う意味)
Hawai’ian Name
(ハワイアンネーム)
Lehua Leimakamae Naomi
(教室名とハワイアンネームは故レフアナニ佐竹にて命名)
2018年
フラ人生は2023年で54周年を迎える。
ハワイの有名なアーティスト(ハワイコールズ、ナーパラパライ、ジェノアケアヴェ、カジメロブラザース、アーロンサラ)と共演をこなし、自身もプロのフラダンサーとして多方面にて活動中である。
レフアナニ佐竹 Lehuanani Satake
芸歴
1956年ハワイに渡航
- ハワイアン・タヒチアン・フラのレッスンを受けるその後海外での舞台出演をこなし一時帰国
1961年
- ハワイに再渡航
1961年8月15日
- ハワイ伝統のハラウ(フラ教室)Ilima Hula Sutadio(イリマ・フラ・スタジオ)クムフラ Louise Kahilioʻkalani Kaleiki&Aunty Lukaに師事
1962年8月3日
- 日本人第一号となるハワイでフラを指導することのできる資格PROFESSIONAL DIPLOMAを修得
1964年
- テレビ、ステージに出演
日本に初めてハワイよりフラを持ち帰り、伝え広めた事で多くのマスコミに取り上げられる。
日本フラ界の第一人者として広く認知される事となる!!
1965年4月
- 常磐ハワイアンセンターの初代講師を務め現在のフラ人気をつくりあげるのに貢献
1975年
- 台湾・フィリピン・中南米の米軍基地で活躍
1977年結婚しハワイへ移住
- 13年間のハワイ生活の後 1990年帰国。
フラ教室を日本で設立し、後進育成にポイントを置く。ポリネシアン民族舞踊レフアナニスクールアカデミー(当時名)主宰
2013年4月5日逝去
- 享年83歳
レフアナニ佐竹の功績
1956年より日本のフラの発展にご尽力され、1962年には日本人として第一号となる、ハワイでフラを教える事が出来る資格(Kumu Hula)としての称号を得ました。国内では常磐ハワイアンセンターの初代講師とし後世の指導にあたっており、自身もレフアナニスクール主宰として第一線にて活動をされました。
Lehuanani Satakeは今の日本でのフラ人気を作り上げ、全日本フラダンス協会の役員として精力的に活動されておりましたが、2013年4月5日にご逝去なされました。 現役最高齢の享年83歳でした。佐竹先生安らかにお休みください。